藤島部屋
元横綱三重ノ海が「分家独立を許さず」だった出羽海部屋から円満に独立。
55年九州場所中の引退直後は11代山科となるも、すぐに14代武蔵川を襲名したのは、入門時の師匠であり、この名跡にて名理事長としての声望を高めた13代(8代出羽海)の後継たることで、ある種の権威付けを図ろうとした所以か。ともかく、56年8月の部屋開きは一門総出で大々的に行われた。
14代武蔵川がその後1横綱3大関を輩出する名伯楽となったことは、多くの相撲ファンの知るところであろう。

22年9月、前月に相撲協会理事長の座から退いていた14代武蔵川は、長きにわたった部屋運営も大関・武双山の18代藤島に任せることを決めた。この際、互いの年寄名跡を変更しなかったので、旧武蔵川部屋は藤島部屋へと改称されて現在に至っている。
藤島と言えば、どうしても元大関貴ノ花が開き、若貴兄弟をはじめとする一大ブームを巻き起こした二所一門きっての名跡というイメージが強く、当時はそのライバル部屋であった武蔵川の系統が名乗ることに対する違和感を唱える声も少なくはなかった。
もっとも、貴ノ花以前に遡れば、元来藤島は出羽一門の親方衆が名乗っていた名跡で、横綱・常ノ花が7代出羽海を継承する前に藤島を名乗り、理事長の職にあったことは有名である。
その意味では、数十年の年月を経て伝統ある藤島の名跡が出羽一門に還ったとも言えようし、仮に18代が今後理事長の座に登るようなことがあれば、こうした歴史的経緯がより一層脚光を浴びることになるかもしれない。



当ブログが推す有望力士
武将山 生年:平成7年 出身:茨城 身長:171センチ 体重:168キロ
リンク先の個別記事を書いてから、はや3年近くが経とうとしている。初の15枚目以内進出を果たした28年春の最高位をなかなか上回れず、中位での一進一退を繰り返してきたが、新年初場所は1年半ぶりの15枚目以内復帰となりそうだ。
丸っこい体と童顔によくハマっていた虎太郎の旧四股名。しかし、古傷の膝が芳しからず、30年春の大負けを機に同5月より武将山を名乗って以降は、あたかも幼名を改め一廉の将となったかのように負け越し知らず。
体重を一時期より落としたように見え、それが懸案である二つ目の攻めや土俵際での詰めにおけるスムーズな足運びに繋がっているのではないか。膝の状態も現在は順調そうで、足のもつれも軽減されてきた。藤島部屋改称以降の新弟子としては初の関取昇進へ、来年こそ明確に勝負をかけたい。



その他の注目力士
武玄大(H元 大分 179 122)は、新幕下昇進から10年目の年を迎える。
28年半ば~29年前半にかけて幕下一桁番付にまで進出、体も大きくなって新十両近しの印象を抱かせたが、その後は両膝の怪我が思わしくないこともあり、中位での土俵が主戦場となっている。
左四つ右上手で相手の下に入ったときの出足や力強さには見るべきものがあり、上位で活躍していた時期は、しっかり一つ踏み込んでから先手先手で相撲を取れていたが、体調の問題を抱える最近は、どうしても踏み込みが弱く受けに回りがちで、下がりながらスピードや身のこなしの柔らかさを生かす形に。
急激に地力や馬力が伸びる時期は過ぎつつあり、であるならば、仕切りの位置や手の着き方、前傾の浅深度合い、呼吸の測り方など細部に拘って、技術的にしっくり来るものを果敢に求めてもらいたい。


専大相撲部出身で師匠の後輩にあたる福山(H7 鹿児島 174 99)は、奄美大島出身力士特有の中に入って食らいつく相撲っぷり。反り技の名手としても知られ、29年9月には居反り、30年5月にはたすき反りの奇手を決めている。
現在は幕下下位で一苦労の時期を過ごすが、関取昇進を果たし、郷土の先輩として目標に挙げる里山(29年九州限りで引退し、年寄・佐ノ山を襲名)のような記憶に残る異能派となれるだろうか。
着実な体力強化が実り、29年秋場所前の計測では99.9キロを記録した体重が常時100キロを上回る日も近そうだ。

郷土の名を背負い、新幕下目前の宗像(H6 福岡 178 127)だが、今一歩で厚い壁を越えきれない。左四つの型は持っているだけに、一にも二にも立合いの強化を果たせるか。
柔道経験を経て入門してきた藤佐藤(H7 岐阜 182 110)も、30年前半にデビューから2年ほどで幕下が見える位置まで上昇。その後は怪我による全休もあって後退したが、若き日の旭大星を思い出すような仕掛け鋭い足技・投げ技で場内を沸かす曲者だ。
とはいえ順調な出世が一旦止まったところで、改めて押す力の向上を目的とした基礎反復を十分にこなしていくことが望まれる。しばらくは三段目の土俵で大いに揉まれることだろう。