峰崎部屋
元幕内三杉磯の7代峰崎が昭和63年12月に放駒部屋から独立して創設。平成最初の場所(元年初場所)が新たな部屋としての船出であった。
形としては芝田山(大乃国)と同じ放駒部屋からの独立だが、芝田山が17代放駒(魁傑)の内弟子として昭和56年には花籠部屋を離れていたのに対し、峰崎は60年12月、12代花籠(輪島)の不祥事に伴う部屋閉鎖によって放駒部屋へと移籍という違いがある。

創設から20年以上関取を出せずにいたが、平成24年夏場所後に部屋を閉鎖した花籠部屋(平成4年に元関脇・太寿山の15代が再興)から移籍の荒鷲が同年秋に再十両を果たし宿願成就。26年夏には新入幕、29年には初金星もあげて「孝行息子」ぶりを発揮している。
一時は独立直後と同じ3人にまで減った力士数も花籠との合併で二桁を越え、以後も継続的な新弟子の獲得で同水準をキープ。地力の近い者同士が豊富な稽古量を約束される環境が整ってきた。

創設30年を越え、当時もっとも若い部屋持ち親方であった師匠も停年まで2年あまり。先のことは分からないが、ともかく幕下~三段目の若手・中堅力士たちには今以上に力を伸ばし、少しでも地位を高めた状態でそのときを迎えてもらいたいものである。



主な注目力士
最高位幕下7枚目の実力を持つ豪頂山(S62 モンゴル 175 117)だが、28年以降は怪我も多く中位が主戦場に。30年秋・九州と久々に絶好調で、31年初には3年ぶりの15枚目以内進出を果たすも、精彩なく1勝に終わった。
好調時には、鋭い踏み込みから低い体勢を維持したまま最小限の動きで中に切り込んで行く無駄のない取り口が光るも、早くに上体が起きてしまうと軽さが目立ち、故障を招きやすい強引な投げ技も課題。
30歳を越え、小さい体で幕下の土俵に上がり続けるだけに右足の怪我などコンディションも安定しきらないが、悲願の十両昇進に向け、なんとか壁を突き破りたい。


満津田(H6 長野 182 116)は、柔道経験を持っての高卒入門(25年春)。突いてくる手をうまく手繰ったり、逆転の豪快な投げ技を見せるあたりは「らしさ」だが、それだけでは通じず三段目下位が長かった。
しかし、29年秋に全勝、一度も三段目50枚目以内を経験することなく幕下昇進を果たすと、翌場所こそ家賃が高すぎて全敗するも、以後は三段目上位に定着して、再度の幕下入りも近そうだ。
立合いは頭を下げながら小さく半歩出る形も、相手が手取りを警戒して様子を見ていると猛然と突き返し、一気に勝負をつけることも。
荒鷲を手本に立合いの鋭い踏み込みを…と言われても辛いタイプだけに、旭鷲山型の絡みつくような嫌らしさを身に着けてほしい。


大勇人(H10 京都 174 135)は、小中学生時代に同学年の貴景勝や阿武咲などとも対戦している。中卒後の入門で当初の出世は順調も、右手首の怪我で休場が続き序ノ口まで落ちるなど、肝腎なところでの怪我に泣かされてきた。
それでも半年振りの三段目復帰を果たした31年初場所は、固太りの体型でガチっと当たってから怖がらず前に出る圧力が十分に生かされ、最初の一番から6連勝と快進撃。優勝こそ逃すも、大幅に更新した最高位で準ご当初の春場所を迎えられそうだ。