荒汐部屋
元小結大豊の8代荒汐が、昭和62年の引退から15年ほど時津風部屋付きの年寄として活動したのち、時津風部屋代替わりのタイミングで独立。平成14年6月の創設から凡そ17年の歳月が経とうとしている。

当初はなかなか力士が集まらず、7年半にして初めて育てた関取(蒼国来)は八百長騒動に巻き込まれ…と苦労は絶えなかったが、蒼国来は周知の通り冤罪が晴れてブランクを感じさせぬ活躍ぶり。怪我とも戦いながら長く幕内~十両の地位を保ちつつ、部屋としての努力が実り二桁を越えるまでになった後進の指導にも精力的に取り組んで、大波三兄弟の若元春・若隆景を十両昇進に導いた。
荒篤山もデビュー10年目にして十両昇進が目前に迫っており、三兄弟の長男若隆元も負けてはいられない。当代の停年は来年3月に迫っているが、残り1年あまりにして、部屋には創設以来最大とも言える上げ潮ムードが漂っている。



主な注目力士
荒篤山(H6 神奈川 181 160)
上記の通り十両昇進にもう一歩まで迫っている突き押しの実力者。以前は半端に組んでしまう相撲も多かったが、今はとにかく突き押しに徹して、組み止めようとする相手の差し手や前廻しを懸命に振りほどいていく姿が印象的。体重もデビュー時は100キロほどしかなかったそうだが、9年以上経ってすっかり肥り、堂々のあんこ型に成った。
頭でかまして行くものの立ち合いは高い方で、素早く喉輪やハズで押し上げる体勢に持ち込みづらいため、下から下からあてがってくる相手は苦手。その代わり上から下に手を使えるので、かっぱじき気味の動きには転じやすく、前廻し狙いの相手を捌く上手さは光っている。
決して馬力がないわけではないが、相撲の性質的には守りの強さを生かしながら取るほうが安定する木村山(現・岩友親方)タイプ。そうした自らの特長を的確に自覚し始めたことが成長の要因か。


若隆元
(H3 福島 184 115)
学法福島高出身で、デビューは荒篤山から1場所遅れの21年九州。24年名古屋には幕下に上がったが、そこからが長く左肩や足首の怪我にも泣いてきた。
30年は上半期から好調。はじめて一桁の番付も経験したが、足首の状態が悪くて後半2場所は失速。踏み込み鈍く当たりも高いので、得意の左を引くような展開に持ち込むことは難しかった。
右四つ左前ミツが得意とされているが、左を深く差して右から攻めるような流れでも強く、何にせよ左を早く取るという自分の相撲に拘り抜くことで活路を開くしかない。
体重が125キロくらいまで増えて、立合いの突き起こしに圧力が出てくれば…とは誰より本人が望み続けているだろうに、どうにも実現し得ないことは口惜しい限り。