土俵一路

本場所中の更新に加え、場所と場所の間は花形力士の取り口分析、幕下以下有望力士の特集などを書いています。 「本場所中も本場所後も楽しめる」をコンセプトとして、マイペースかつストイックに我が道を往き続けます。                他サイト等への転載はご遠慮下さい。

2016年10月

もしかすると、4回目の更新が遅れ気味になるかもしれないので、ここで3.5回目として短めのクッションを。
これまで何度も書いてきた「相撲勘」という曖昧な用語について、少しばかり噛み砕いた解説を入れてみようかなと思います。

※あくまでおまけの回ゆえ、堅苦しく感じてしまわぬよう、今回は「ですます調」で書きます。

前回も記した通り、豪栄道の得意とする流れとして、両廻し(出来れば右四つ)を深く引いて大きな相手の下に入り、合わせ技のようにして左右へ振りながら相手の腰を落ち着けずにペースを握っていくという形があります。
ただ、これも闇雲に振っていては呼び込んで相手に付け入られる原因となるわけで、一応のコツとして、左上手からの捻りを利かせながら右下手で振る場合は、相手が逆足-上手を引いている側の足が前にある状態-のとき、右下手からの捻りを利かせながら左上手で振る場合は、相手が順足-下手を引いている側の足が前にある状態-のときにうまく体を開きながら繰り出すと付け入られにくいとされています。

とはいえ、こういうのはあくまで展開が止まっているときに関して有意義な訓えであり、往年の大鵬のように大柄な人が左四つでどしっと腰を据え、相手の体勢を落ち着いて見られる状態で放つのならばともかく、豪栄道は多くの場合で相手よりも体格で劣り、それゆえ常に動き続ける中で相手の腰を落ち着けさせないために出していくわけですから、一々動きを止め、相手の足がどういう構えになっているのかということを考えながら取っているのでは、相手に先手の攻めを許し、こうなってしまうといかに小力があるとはいえ、体力面の不利を覆すのは簡単ではなくなってしまいます。

それを免れるためには、頭で考えるより先に相手の出方を体で読み取り、瞬時に反応していくセンスが必要になってくる。これこそが「相撲勘」というものの正体であり、豪栄道という人が他の力士と比べ、大きく秀でている特長というわけです。
たとえば秋場所初日、直近5回の対戦で1勝4敗(1勝は立合いの変化)と大の苦手にしている栃ノ心戦で、右四つ十分の上手を許しながら、豪栄道が左右から二、三度振るようにして体を回せば、栃ノ心は自分から積極的に攻める機会を一度も見出だせぬまま、あっけなく土俵を割ってしまった(詳細は今後、秋場所全15番分析の記事にて記載します)。傍目には、何故栃ノ心ほどの実力者があれほど簡単に振り回されてしまうのか不思議に思えるのですが、細かくそれぞれの場面を見ていけば、やはり豪栄道の動きは上記したような「コツ」に倣い、的確に動いて栃ノ心を翻弄しています(最後、栃ノ心が順足になったところで大きめに振って白房側に寄り立てたところがもっとも分かりやすいかもしれません)。
右手首骨折により殆どぶっつけで挑んだ初場所、眼窩内骨折の影響で調整不足を強いられた名古屋の対戦において、同じ右四つから何もできず、逆に簡単に胸を合わされたり、引っ張り回されて抵抗のすべなく持って行かれたりで完敗していたのと比べれば豪栄道側の反応の鋭さが一目瞭然。
この時点で、少なくとも「今回は十分に稽古ができている」ということを見抜くべきであったのに、後付けでしか判断できずにいるあたりは筆者の至らなさでありつつ、多くの評論家も同様に見逃していた「機微」であったのかなと思います。


こうした「勘の良さ」というものは、勿論生来持ちあわせたセンスの良し悪しも関係しますが、大前提はやはり日々の稽古によって蓄え、築き、育てるものであり、どれだけセンスが良かろうと十分な稽古量が担保されない状態が慢性的に続くようでは、本場所の土俵で十分な成果を発揮することは難しい。
ここまで来れば、もう相撲の世界に限った話ではなくなってきますよね。


…という感じで少しでも「相撲勘」という抽象的な表現の理解を助ける一助になったならば光栄に存じます。おまけの更新、これにて打ち止め。

ここからは少し流れを止めて、具体的な取り口のことについて行を割かせていただきたく思います。


豪栄道という力士の特徴を端的に書くと、本人も場所後口にしていた通り、「右を差す相撲」というところに最大の個性を見出すことが出来る。
これを夏場所後に記した「利き腰」の分類に照らし合わせると、右四つ右腰型ということになるのだが、その説明として同記事から該当部分を抜粋すると…

右四つ右腰型  
右四つの中でも、左上手を取ること以上に差すことを重視する。つまり右(この場合の「右」という言葉も前回記した通り、右腕や右肩だけではなく、腰を中心とする下半身を含めた右半身全体というイメージ)を使いたいのが右四つ右腰タイプの特徴。
このタイプは、概して左四つ右腰タイプとの親和性が高く、左四つに組んでも右上手が引ければ力の出る場合があり(この場合はむしろ右上手の方から先に狙って取りに行くような形が多くなる)、廻しが取れずとも右からの小手投げや突き落としなどの威力は高い。


…となる。つまり、右四つの中でも先に左上手が欲しい、また左上手の側から技を出すというのではなく、まず右を差し、その差し手(左四つに組んだ場合は上手廻し)を生かしながら、独特の瞬発力、優れた相撲勘を生かした反応の良さによってさまざまな二次的展開を作っていくところに特徴を有するのだ。
豪栄道の取り口を紹介する際、よく千代の富士型とでも言うべきか、「左前廻し」ということが放送中でも多く話題にのぼり、右四つで左前廻しを取っての攻めが最大の武器であるかのように思われがちなのだけど、そういう「左腰」型の取り口は寧ろ課題とするところであり、右だけで相撲をとってしまう癖を克服し、より万能の相撲を目指すにおいて身につけねばならぬポイントであるからこそ、稽古で型を繰り返す姿がクローズアップされ、結果としてその型があたかも得意とする戦法であるかのように喧伝されているのではないだろうか。

勿論、実際豪栄道は大関昇進を決めた一昨年名古屋の白鵬戦が証明する通り、右四つで左上手を引くことができれば、大いなる強さを発揮する。ただ、この場合もあくまで右腰力士としての特徴が明確に出るのは、「横に食いつく」のではなく、「下に入る」のである。
つまり、左上手の側にくっつくような形ではなく、上手下手とも深い位置で自分より大きい相手にも胸を合わせるようにするのだが、このとき、左上手からの捻りを利かせながら右下手で振るという動きを多用するのだ。その両廻しの引きつけが非常に強いために、完全に胸の合う体勢を避けつつ、ときには反対方向への移動(つまり右下手からの捻りと左上手からの投げ)も併用し、引っ張り回しながら相手の腰を伸ばしていくという流れにまで持っていくことができる。
しかし、幕内上位において決して大きいとはいえない体型でこのような取り口に頼り過ぎることは諸刃の剣となり、大関昇進の代償として負った左膝の怪我は昇進以後の長き低迷をもたらす要因となって豪栄道の相撲からかつての豪快さを伴う技のキレ味を奪い去った。正確に書けば、思い出しかけるたび次なる怪我が発生し、しかも故障箇所が多岐にわたるため、取り戻すために積み上げた過程が逐一リセットされるような状態に陥っていたのだと思う。
関取衆との集中した稽古が場所前2週間足らず、ときにはそれすらこなせないままに場所に入らざるを得ない中では、インスタントに左前廻し狙いからの速攻にイメージを固めざるを得ず、 前回までに書いたような経過によって本場所での不調が増幅されていったのである。
もう少し細かく書けば、左から相撲を取ろうとする頭の動きと、長く染み付いた右で取ろうとする習慣とが噛み合わず、傍目にも、やがては恐らく自分自身でも何をしようとしているのかが全然見えてこないような相撲内容が目立つようになる。
とりわけ、右手首骨折の回復が覚束ず、ぶっつけで挑まざるを得なかった今年初場所(4勝11敗に終わる)は、右が全然使えないという状況に追い込まれたゆえ、そうした内容面の乱れがいっそう顕著。なかなか大関としての責任を果たすことが出来ないことによる精神的な重圧も体調面の不良に追い打ちをかけ、周囲を取り巻く重苦しさに拍車をかけていた。


…とまあ、長々と書きましたが、この右手首の怪我に伴う初場所の大敗というのが、ひとつのキッカケになって、秋場所での活躍へと結びついていったのかなというのが私見です。

「別冊相撲」の柏鵬時代編、柏戸復活優勝(昭和38年秋場所)の再録記事に感動・感化されてしまい、どうしても提灯記事のような仕様にしてみたくなったので、、今回ばかりはそんな風味になっちゃいました(勿論、仕上がり自体は月とスッポンの差ですが…)。
具体的な取り口等の話は、次回以降冷静さを取り戻しつつ行いますので、今回はざっと見ていただけるか、最悪スルーでも構いません(笑)


名古屋場所千穐楽で負け越し、翌場所のカド番が決まった豪栄道。しかし、場所後は日馬富士、白鵬以外(白鵬も巡業中に左膝悪化、鶴竜、稀勢の里は後半から合流)の上位陣が休場する中、久々に夏巡業を完走。
無理をせずじっくりとコンディションを作りながら、徐々にペースを上げ、ぶつかり稽古では有望株の阿武咲や佐藤に胸を出すなど、役者不在にも思われた巡業における指導的な役割を果たしていった。
また、三番稽古でも前場所敗れている正代、苦手とする栃ノ心、豪風などさまざまな相手と肌を合わせ、実戦を想定した密度の濃い内容が続いたよう。
すなわち、場所前2週間で「良いイメージ」だけを作って取るのとは違う、ある程度不利な体勢になったところから、どう我慢しながら形を作っていくか、そのための足運びや上下のバランス、土俵際の詰めなどをしっかり確認することによって、より心身を土俵に慣らした状態を維持しながら本場所までのリズムを刻んでいく。
天性の相撲勘を生かすための裏付けが秋場所前に関しては十分に担保されていたし、そうすることで上体の怪我に悩まされるうちも着々と積み上げ、然し「勘の鈍り」によって、なかなか実際の取り口には反映されてこなかった下半身の充実振りが、大いに実質を放っていくこととなったのだ。


こうした調整を8月いっぱいまで続いた長丁場の夏巡業中、体調に合わせつつ、しっかりとした強度を保ったままに乗り切り、番付発表の日を迎えられたのだから、その後の稽古総見→場所直前の最終調整も好調のままに迎えられたのは自然な成り行き。
しかも、総見で稀勢の里を完膚なきまでに圧倒するなど最近になく絶好調で場所前の調整を謳歌していた日馬富士が、その後珍しく境川部屋へと出稽古に訪問。お互いにさまざまな確認も経ながらの白熱した20番は「総仕上げ」としてこれ以上ない実りをもたらしたことだろう。


このようにして、快進撃を続ける秋場所の土俵がはじまったのである。

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