土俵一路

本場所中の更新に加え、場所と場所の間は花形力士の取り口分析、幕下以下有望力士の特集などを書いています。 「本場所中も本場所後も楽しめる」をコンセプトとして、マイペースかつストイックに我が道を往き続けます。                他サイト等への転載はご遠慮下さい。

2019年02月

荒汐部屋
元小結大豊の8代荒汐が、昭和62年の引退から15年ほど時津風部屋付きの年寄として活動したのち、時津風部屋代替わりのタイミングで独立。平成14年6月の創設から凡そ17年の歳月が経とうとしている。

当初はなかなか力士が集まらず、7年半にして初めて育てた関取(蒼国来)は八百長騒動に巻き込まれ…と苦労は絶えなかったが、蒼国来は周知の通り冤罪が晴れてブランクを感じさせぬ活躍ぶり。怪我とも戦いながら長く幕内~十両の地位を保ちつつ、部屋としての努力が実り二桁を越えるまでになった後進の指導にも精力的に取り組んで、大波三兄弟の若元春・若隆景を十両昇進に導いた。
荒篤山もデビュー10年目にして十両昇進が目前に迫っており、三兄弟の長男若隆元も負けてはいられない。当代の停年は来年3月に迫っているが、残り1年あまりにして、部屋には創設以来最大とも言える上げ潮ムードが漂っている。



主な注目力士
荒篤山(H6 神奈川 181 160)
上記の通り十両昇進にもう一歩まで迫っている突き押しの実力者。以前は半端に組んでしまう相撲も多かったが、今はとにかく突き押しに徹して、組み止めようとする相手の差し手や前廻しを懸命に振りほどいていく姿が印象的。体重もデビュー時は100キロほどしかなかったそうだが、9年以上経ってすっかり肥り、堂々のあんこ型に成った。
頭でかまして行くものの立ち合いは高い方で、素早く喉輪やハズで押し上げる体勢に持ち込みづらいため、下から下からあてがってくる相手は苦手。その代わり上から下に手を使えるので、かっぱじき気味の動きには転じやすく、前廻し狙いの相手を捌く上手さは光っている。
決して馬力がないわけではないが、相撲の性質的には守りの強さを生かしながら取るほうが安定する木村山(現・岩友親方)タイプ。そうした自らの特長を的確に自覚し始めたことが成長の要因か。


若隆元
(H3 福島 184 115)
学法福島高出身で、デビューは荒篤山から1場所遅れの21年九州。24年名古屋には幕下に上がったが、そこからが長く左肩や足首の怪我にも泣いてきた。
30年は上半期から好調。はじめて一桁の番付も経験したが、足首の状態が悪くて後半2場所は失速。踏み込み鈍く当たりも高いので、得意の左を引くような展開に持ち込むことは難しかった。
右四つ左前ミツが得意とされているが、左を深く差して右から攻めるような流れでも強く、何にせよ左を早く取るという自分の相撲に拘り抜くことで活路を開くしかない。
体重が125キロくらいまで増えて、立合いの突き起こしに圧力が出てくれば…とは誰より本人が望み続けているだろうに、どうにも実現し得ないことは口惜しい限り。

時津風部屋
幕内・時津海は、平成19年に起きた時津風部屋力士暴行事件の引責で15代時津風が解雇(のち逮捕)されたため、急遽現役を引退して16代時津風を襲名。
思いもよらぬ形で名門の後継を任された時津風だったが、その後も野球賭博問題で自らが処分を受け、翌年には弟子の霜鳳が八百長に関与したと認定を受けて引退するなど逆風は吹きやまない。
一時は所属力士数も二桁を割りかねないところまで落ち込んだが、豊ノ島・時天空・双大竜らのベテランが息の長い活躍で屋台骨を支えると、その間に26年入門の正代、次いで28年入門の豊山という東農大コンビが番付を駆け上がり、世代交代の実現にこぎ着けた。
若い2関取に復活を遂げた豊ノ島が加わり、31年春は久々に3力士が幕内在位。高校卒の力士を中心とした次代を担う若手も幕下に定着し始めているだけに、ようやく先行きに明るさが見えつつある時期と言えそうだ。
継承から12年近くが経っても当代は若く、部屋付きとして在籍する年寄も多いのだから、現在13名の所属力士数をさらに増やしながら、もう一回り以上の拡大・繁栄を目指してほしいもの。
近年名門部屋が相次いで久々の戴冠を果たしているが、時津風にも北葉山以来となる歓喜が齎される日は訪れるだろうか。

時津風部屋といえば、なんと言っても東農大との長く太いパイプが有名であり、現役でも正代・豊山・謙豊の3力士を擁するが、豊ノ島をはじめとする高校相撲経験後入門勢も7名を数え、10代後半~20代前半の幕下~三段目力士として将来が楽しみな存在も多い。
(過去の所属力士と重複しているケースはあるが)7人在籍で出身校に異なる6つの校名が並んでいる点も、東農大一筋の大学勢とは対照的で、なかなかに興味深い傾向と言えそうだ。




主な注目力士
濱豊(H7 神奈川 182 147)
中学卒業後の入門で今春デビュー9年目を迎える23歳。新幕下から4年が経過し、今年こそは上位定着の足がかりを掴みたい。
現役では大栄翔に似た取り口か。右の突きが強烈で、この腕を伸ばせれば自分の流れ。しかし、一旦外されてしまうと足首の故障歴も相まってバッタリ行くケースが多く、攻め返された場合にも、腰が慢性的に悪いため、たまらず引いて墓穴を掘ってしまいやすい。
回転が大きいタイプの突きを用いるだけに、腰を悪くしているのは気の毒だが、エンジンの大きさは本物。うまく怪我と向き合いながら、長所を最大限活かす方向で成長を続けたい。


大畑(H8 宮城 185 145)
小牛田農林高相撲部出身で26年九州が初土俵。2年半で幕下に上がって以降、体調を崩した時期もあったが、30年春に三段目優勝してからは概ね幕下に定着し、いよいよ上位進出も見えてきた。
兄弟子の正代と体型・体質・取り口がよく似ており、腰高で受けやすいものの上体の柔らかさと腰の良さで凌いでいくスタイルは、とりわけ突き押しの力士にとって厄介。
関取と異なる点は、右の使い方が大きくなりやすいことだったが、最近は小さく下からあてがうような使い方に変化しつつある。
相手によっては、立ち合いにもろ手で突いてから中に入らんとするなど模索の後が見えるのも良い。まだまだ大味さもあるが、徐々に洗練されていくはず。2~3年後の開花に期待をかけたい。


将豊竜
(H8 秋田 170 140)
秋田は平成高の相撲部出身。同学年で同じ東北の高校を出ている大畑よりも1場所早くデビューしたが、出世の面では遅れをとり、デビューから丸4年の30年9月が新幕下。
30年から体型によく合ったハズ押し主体の攻め筋が急速に進化し、幕下33枚目まで上がった31年初場所も3-4ながら善戦ぶりが光っていた。
意外な投げ腰の強さもあり、30年九州では注目の納谷を投げ飛ばしたが、中に入られた際の首投げなど強引な仕掛けも見られる。
秋田出身の短躯押し相撲と言えば、31年初場所限りで引退した豪風。柔道経験者の豪風も当初は同じような癖を持っていたが、それに頼り切っていてはむしろ短命の部類に終わっていただろう。一門は違えど、国モンということで声をかけてもらう機会もあるはず。多くを学んで偉大なる先達に続く秋田産の傑物となれるか。


陽翔山
(H10 モンゴル 185 121)
時津風部屋では、時天空以来となるモンゴル出身力士。福岡の希望が丘高校相撲部時代に際立った実績はないが、29年9月の初土俵から1年半で三段目上位進出(負け越し1度だけ)は順調な出世ぶりで、今年中の幕下昇進が期待される。
立合いから組みにいくのではなく、角度よく当たり突き起こしてから…という基本に忠実な取り口で、変則技などのレパートリーもない極めてオーソドックスなタイプの本格派。上背があるだけに、四つに拘らず、突き押しでそのまま勝負をつけるような相撲も目指していけるのではないか。

津志田(H11 岩手 180 128)
岩手平舘高を出て、30年5月初土俵の19歳。名古屋の序ノ口優勝を皮切りに、負け越しなしで31年春には三段目西23枚目まで躍進してきた。
突き押しと左四つの併用が基本戦略で、相手の特徴と照らし合わせながら使い分けるクレバーな側面を持っている。右膝があまり良くないらしく、先手を取って早く勝負をつけたいという意図は買えるのだが、左四つというよりは左差し速攻型で胸を合わされると厳しい。これ以上の番付を考えると、本格的な左四つ相手に引っ張り込まれやすそうな懸念はあり、右おっつけを鍛えるなどの対策を打ち出していけるだろうか。

湊部屋
元小結豊山の22代湊が、昭和57年12月に時津風部屋から独立して創設。
22代は唯一の関取として幕内・湊富士を育てると、停年を2年後に控えた平成22年7月、引退して16代立田川を襲名していた愛弟子と名跡交換する形で部屋を譲り、23代湊による部屋運営がスタートした。
29年12月には、錣山部屋とともに長く所属していた時津風一門を離脱。その後は無所属として活動するも、「すべての相撲部屋は必ず一門に所属しなければならない」という例のお達しに伴い、30年11月、新たに二所ノ関一門へと加入することが決定している。


26年には、幕下15枚目格付出で初場所にデビューした逸ノ城が九州で早くも関脇昇進を果たし、創設以来初の三役力士が誕生。この部屋頭の大関・優勝をいかに実現させるかが目下最大の懸案であることは論を俟たないものの、まだ同時に複数の関取が誕生したことのない部屋にとっては、逸ノ城に続く関取の輩出も大きな悲願。少数ながらも10代力士が半数を占める若い稽古場から、次代を担う逸材が台頭する日を待ちたい。



主な注目力士
諒兎馬(H11 愛知 175 116)
中学卒業後の27年春初土俵で、デビュー5年目を迎える19歳。
序二段上位で6番勝った30年九州、差し手を十分に返して相手と密着する型の良さにベタ惚れして、年間ランキング(最高位三段目ver)でもやりすぎなくらいの順位をつけてしまったが、一気に40枚以上最高位を更新した31年初場所も3勝4敗と善戦し、地力の向上が見て取れた。
出世の速度は平均的で、下半身の安定感は光るも体つき自体は小兵の部類。まして密着してなんぼのところがあるので、相手の圧力を受けて簡単にはくっつけないという状況は当分続きそうだが、立ち合いの研究に勤しみ、前さばきの上手さ・速さを磨き上げ、無論腰から下の安定性もいっそう高めながら、いずれは名人級の技巧派として台頭してほしいもの。たとえが古すぎて恐縮ながら、名解説者としても鳴らした若瀬川(忠男)のような燻し銀に育ってくれないものかと期待している。

鷹翔(H5 埼玉 190 157)
デビュー9年目に入った未完の大器。31年初場所までは湊竜を名乗っていたが、同春場所から体格により見合った壮大な四股名へと改名する(読みは「おうか」)。
自身が付け人を務める逸ノ城を参考にしたようなスローペースの右四つ。安定性はあるが、左の上手が遠く、胸を合わせきれずに長引きがちな勝ち味の遅さゆえ三段目上位の壁を打ち破れずにいる。逸ノ城を見習うという意味では、前哨戦での突き放しを用いるなど、もう少し体力を活かす積極性が欲しいところ。これまでに大きな怪我もなく、晩成型の素材として花咲く余地は十分に残されている。

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