土俵一路

本場所中の更新に加え、場所と場所の間は花形力士の取り口分析、幕下以下有望力士の特集などを書いています。 「本場所中も本場所後も楽しめる」をコンセプトとして、マイペースかつストイックに我が道を往き続けます。                他サイト等への転載はご遠慮下さい。

Category:力士別分析 あ行 > 隠岐の海(引退)

⑫令和4年初場所 7日目 vs正代 寄り切り

最終回は結果的に最後の上位挑戦場所となった令和4年、つまり昨年初場所の正代戦を見ていくこととしたい。
過去の対戦成績は6勝6敗。正代大関取りの令和2年秋場所で土をつけ、大関昇進後の3年初場所は同体取り直しの末、かなり微妙な勇み足の判定によって敗れるなど、元気な時期の正代に対しても互角に取ることができていた。
この場所は左膝に白いものが見え、初日から元気なく5連敗スタートも、不成績における上位戦で結果を出してきたことは、この連載の中で再三示してきた通り。この日もそのままの強さを見せつける。


立合い、少し早く踏み込んだ隠岐の海、相四つとあって左四つにスンナリ組み合うのは予想通り。正代が煽りながら出てくるところ、隠岐の海が右(正面方向)に廻りながら突き落としの間合いにはめ込まんとするのも、このカードにおいてはしばしば見られる光景であって、ゆえに、正代も突っ込みすぎずに左を返し、青房側へ引き寄せるが、隠岐の海の左も効いているので拮抗し合って土俵中央へ復する。
ここで隠岐の海上手を引いて優勢に見えるが、強引に出ていくと正代得意の左下手(掬い)投げが飛んでくることも学習済み。じっくり呼吸をはかりつつ、正代が立ち腰のまま右上手に手を伸ばす機を捉えて右上手で振ると、正代は体が流れて正面に下がり、堪えるところを隠岐の海さらに右上手から崩して西に迫り、正代下がりながらの左下手を狙うところも、小さく上手投げを打つように引き付けて無効化。しっかり体を寄せて、最後は黒房側に寄り切った。


立合いから攻防、詰めの局面に至るまで、これまでの正代戦におけるやられ方を十分に研究しながら、積極かつ堅実な攻めで平らげる会心の勝利だった。
正代との対戦はこれが最後。最終的に7勝6敗、一つリードした状態で終わることとなったが、最高位大関以上の相手に通算成績で勝ち越しているのは正代戦が唯一。もちろん、同格(以下)での対戦歴がそれなりに長いことも影響してはいるものの、正代が格上となって以降とて互角に渡り合っている(正代が関脇~大関として取った令和2年以降に限れば隠岐の海の4勝3敗)のだから、隠岐の海にとって、もっとも合口の良い上位者であったことは間違いなさそうだ。


・・・というわけで、以上全12回あまり纏まりはなかったですが、思いつくままに筆を進めてみました。上位戦を除いても、他に取り上げたい取組や具体的な場所は色々あるものの、キリもないのでこの辺りを一区切りといたしたく・・・

改めて18年の土俵人生、お疲れ様でした。これからは年寄君ヶ濱として、ますますのご活躍を楽しみにしています!







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⑪令和2年7月場所 vs貴景勝 押し倒し 

前回の豪栄道戦から一気に3年半ほど飛んで時代は令和に。この場所、実に15場所ぶりとなる三役カムバックを果たした隠岐の海は場所中に35歳、すっかりベテランの貫禄をたたえていた。
28年当時の横綱・大関も、いまだ上位に健在なのは白鵬、鶴竜の両横綱だけ。元大関照ノ富士が返り入幕を果たし、「史上最大の復活優勝」を果たすのがこの場所である。

さて、11人目の対戦相手は、大関貴景勝だ。前年夏場所新大関、わずか2場所でその地位を明け渡したものの、秋場所12勝(優勝同点)ですぐに復帰。この時、千秋楽に11勝3敗の相星で対戦したのが隠岐の海だった。
その一番も含め、過去は貴景勝の6勝2敗。隠岐の海は前場所上手投げで勝って、このカード2年ぶりの勝利を収めている。


立合い、貴景勝はいつも通りかまして突き放そうとしたが、踏み込みも当たりも鈍い。隠岐の海右かち上げで当たり、右で引っ張り込もうとしながら左でおっつけ、貴景勝上からの攻めになって押し込めず、一度引くような動きからまた押し放そうとして伸び上がった。
隠岐の海伸びっぱなしになった貴景勝の右肘を掴むようにすると、貴景勝嫌がって左に開き、突き落としの構え。そこへ隠岐の海の右喉輪がカウンター気味に飛んできたので、貴景勝完全に腰が入り、赤房へもろくも押し倒された。


貴景勝は場所前から左膝を痛めており、角番脱出を決めた12日目から休場を決断。ゆえに、この取組も明らかに本調子ではなかったが、それにしても、隠岐の海はまるで上位者のようなどっしりとした勝ち味で大関に連勝。
この場所は、4勝5敗で迎えた10日目から5連勝するなど9勝6敗。35歳にして、自身初となる三役での勝ち越しを達成した。
勝ち越しを決めた13日目は「三役初」ということでインタビュールームへ。そこで当日解説の北の富士氏から「ここから大関を目指そうか」と発言があったことを振られ、「前から目指しています」とさらり言ってのけたサマは、この人らしさのど真ん中を行く鷹揚たる態度であった。

7月29日生まれとあって、本来は場所中に誕生日を迎えることのない隠岐の海だが、この年は新型コロナの影響等で初日が遅れたため、「35歳で初の三役勝ち越し」という記録がついてきた。何回か前にも似たような書いたが、やはり長くやっていれば、何処かでこういう偶然に出くわすもの。
隠岐の海の快挙も、まさにそのような形で生まれたと言えるのだろう。





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⑩平成28年九州場所 vs豪栄道 押し出し

平成28年九州場所、前場所全勝で綱取りの豪栄道は、この場所も好調を持続させて6勝1敗で中日へ。ただ、6日目に土がつき、前日も魁聖相手に薄氷の勝利。中盤に来て相撲内容に陰りが見えていた。
対戦相手は言わずもがなの隠岐の海である。この場所関脇に復帰するも、前場所後半からの不調が続いて1勝6敗。しかし、春場所も4連敗の5日目に綱取り琴奨菊を止めている。過去4度の実績により、すでに「綱取りキラー」の呼び声高く、その観点からの注目も一定程度には集まっていた。


立合い、先に右手を着いた豪栄道が突っ掛けてしまいやり直し。
2度目、豪栄道がかましながら体当たり気味にもろ差しを狙うも、やや踏み込みが鈍い。隠岐の海は右かち上げで豪栄道の上体を起こしつつ、掬うように左を入れ、右は引っ張り込んで向正面へ出ようとし、豪栄道が右から首投げにいくのをこらえて左下手を深く引いた。
豪栄道捻り気味に赤房へ下がり、両足を俵にかけつつ左を返し、隠岐の海が右をつきつけるようにして体を寄せるところ、左へ廻りながら左で隠岐の海の頭を押さえ、右も隠岐の海の差し手をうまく外して叩き込めば、隠岐の海は左肘から落ちて軍配豪栄道。

豪栄道が左足一本で残す際の踵は、際どいながらも残っているように見え、豪栄道優勢と思われたが、友綱審判部長は「豪栄道の体が落ちるのが早い」として玉治郎の軍配を覆す。
「体が落ちる」という表現は不適当にせよ、審判団が見たのは豪栄道の左足が支えを失って体がなくなったという部分。たしかに、これを採るなら単に外へ飛び出したタイミングよりも早いとされるのは当然のこと。
ただ、それにしても隠岐の海の肘がついたのと比べて明確に早いとは言い切れず、差し違えにするほどの形勢であったかどうかは今も疑問に思う。
「いや、やはり左踵が先に出ていたのだ!」とする向きもあるのだが、当事者の友綱部長がそれを否定している(※1)以上、採ることは難しいと言わざるをえない。

勝った隠岐の海も「負けていた。(大関の足は)出ていなかった」と証言しつつ、「こういうときもある」と付け加え、終始攻め込んでいた相撲内容にも前を向いた(※2)

ともあれ、本年3度(人)目&通算5度(人)の目の綱取り大関撃破。そして、結果的にはこれがキラーぶりを発揮する最後の機会ということに・・・
昨年盛況のうちに行われた「大相撲ファン感謝祭」の紹介文でも使われ、思わず「最近のファンは分かんないだろ!」と突っ込んでしまった「綱取りキラー」の異名はいかにして生まれたのか、その過程が少しでも伝われば・・・というのも、今回の連載でやりたいことの一つでした。





※1
>「豪栄道の体が土俵の中になかった。(左)かかとと言うより、もう片方の足が飛び出していた」

補足すると、たとえ右足が飛び出していても左足が生きた状態で土俵内に残っている限りは負けにならないので、おそらく友綱さんは、(本文に書いた通り)左足が支えを失って死に体になったのが、隠岐の海の体がなくなる(肘が落ちる)よりも早いということを言いたかったのだと思う。多分(笑)




※2









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